私たち内科学第一講座の歴史は古く、大正14年(1925年)3月に初代の角尾 晋(つのお すすむ)教授が長崎医科大学内科学第一講座(第一内科)を開講したことに始まり、令和7年(2025年)には、開講100周年を迎えます。
角尾教授は東京帝国大学のご出身で、日本での肝臓病学研究の第一人者で、黄疸に関する臨床・基礎研究を積極的に行われ、体質性黄疸 Gilbert 氏病の日本最初の報告をされました。西洋医学発祥の地である長崎大学を伝統ある地方の名門校にしたいという熱意を持って、講座運営に当たられ、昭和11年(1936年)から長崎医科大学の学長も兼任されましたが、昭和20年(1945年)8月9日,外来診療中に原子爆弾に被爆し、急性原爆症で8月22日に52歳の若さでご逝去されました。昭和54年(1979年)には長崎大学医学部構内に胸像が建立されています。
その後、昭和21年(1946年)12月に、横田 素一郎(よこた そいちろう)教授が第2代第一内科主任教授に就任されました。横田教授は糖代謝、結核、肝、腎の病態生理に造詣が深く、戦後のきわめて大変な時期に主任教授となられ、第一内科を再興されました。この間の昭和24年(1949年)5月に長崎大学医学部となりました。
昭和34年(1959年)5月に、高岡 善人(たかおか よしと)教授が第3代第一内科主任教授に就任されました。高岡教授の恩師は、私の教授挨拶にも記した、“書かれた医学は過去の医学である。目前に悩む患者の中に明日の医学の教科書の中身がある”の、沖中 重雄先生(東京大学医学部教授)であり、問題解決、真理を探究するリサーチマインドを持った学生や医師の教育に力を注がれました。高岡教授はその東大時代に耳下腺から抽出したパロチンにタンパク同化作用があることを発見され、長崎大学に赴任後は膵臓から新たなタンパク同化ホルモン(pancreasextract:PX)を抽出・精製され、先駆的なトランスレーショナルリサーチを展開されました。また、今では全国の大学病院で実施されている専門外来を昭和44年(1969年)5月から実施されました。
昭和55年(1980年)12月に長瀧 重信(ながたき しげのぶ)教授が第4代第一内科主任教授として赴任されました。長瀧教授のご専門は内分泌学・甲状腺学で国際的にも非常に高名であり、長崎大学に赴任後は内分泌や甲状腺は勿論のこと、他グループ(代謝、脳神経、消化器、リウマチ・膠原病)の研究も国際的レベルにまで上げられ、「長崎を世界に」の合言葉で多くの教室員が海外の一流大学や研究所に留学しました。私、川上は長瀧内科5年目の昭和60年(1985年)に第一内科に入りましたが、長瀧教授のスタイルは、今の時代感覚に非常に通じるものがあると感じています。昭和61年(1986年)チェルノブイリ原子力発電所事故後の甲状腺異常に関する国際医療協力において中心的役割を担い、その活動は高く評価され、平成6年(1994年)5月、第一内科は甲状腺疾患に関する研究のためのWHO 協力センターと認定され、平成7年(1995年)12月22日には、長瀧教授は天皇陛下、皇后陛下へ「チェルノブイリ原子力発電所事故による放射線被爆者の現状と医療支援」という題目で御進講をされました。
平成9年(1997年)12月に江口 勝美(えぐち かつみ)教授が第5代第一内科主任教授として就任されましたが、江口教授は長崎大学医学部を卒業された第一内科のいわゆる生え抜きからの第一号の主任教授であります。江口教授のご専門はリウマチ・膠原病で(サブスペシャリティ領域では膠原病・リウマチ内科領域)、長瀧先生に引き続き、第一内科各グループの臨床、研究、教育の指導に当たられ、教室の業績を向上させました。専門分野においては関節MRIを用いた関節リウマチ早期診断基準(NAGASAKI CRITERIA)を確立し、平成18年(2006年)第50回日本リウマチ学会総会・学術集会を「リウマチ学の半世紀を鑑み,リウマチの治癒を目指す―蘭学発祥の地から世界へ―」をテーマで会長として開催されました。一方、平成16年(2004年)4月には国立大学の独立行政法人化と新医師臨床研修制度の導入の二つの大きな変革がありましたが、江口教授は平成17年(2005年)4月に長崎大学医学部・歯学部附属病院長に就任され、この大変革に対応されました。
平成21年(2009年)3月には消化器グループの中尾 一彦(なかお かずひこ)先生が、消化器内科の初代主任教授として就任されました。中尾教授は平成31年(2019年)4月から長崎大学病院長に就任され、コロナ禍においても非常にバランスがとれた病院運営を実践されています。
私、川上は、昭和60年(1985年)長崎大学卒で、平成22年(2010年)11月から、第6代第一内科主任教授として就任しています。
平成26年(2014年)8月には脳神経グループの辻野 彰(つじの あきら)先生が 脳神経内科初代教授となりました。
私の講座運営のポリシーは「教授挨拶」、「学生や研修医の皆さんへ」に書いたように、A:Academic、B:Bedside、C:Comfortableのキャッチを大切に、皆さんと一緒にキャリア・デザインを考えることです。臨床は真摯に、研究は患者さんにフィードバックを目標に、ニューノーマルな社会への転換も念頭におきながら、内科学第一講座の発展に尽力したいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。